
カメラジャパン・フェスティバル 入選
奥津裕也 中村有 黒須杏樹
杉本凌士、小林リュージュ、曽我部洋士
柳谷一成、三原哲郎、木村龍、米本学仁
古川順、岡本恵美、伊藤ナツキ、橋野純平
竹下かおり、佐野和宏
脚本・編集・監督:眞田康平
プロデューサー 奥村康
撮影:松井宏樹
録音:高橋玄
音楽:長嶌寛幸
美術:飯森則裕
助監督:登り山智志
製作:ピストルライターの撃ち方製作委員会
宣伝:滝澤令央、松村厚(京阪神地域)
配給:映画「ピストルライターの撃ち方」製作委員会
配給協力:Cinemago


2023年6月17日から
渋谷 ユーロスペースほか
全国順次公開!

《NEWS》
2022年11月25日
先行上映 MOVIX仙台 眞田康平監督Twitter
2023年3月13日
新ポスタービジュアル /特報解禁
2023年5月22日
眞田康平監督インタビュー メディア掲載
2023年5月30日
黒須杏樹インタビュー メディア掲載
2023年6月1日
いま観るべき映画20236月 メディア掲載
2023年6月2日
「月刊シナリオ」7月号に眞田監督の脚本掲載
2023年6月2日
「映画ナタリー」本予告とワイドビジュアル掲載
2023年7月20日
中村有インタビュー メディア掲載
2023年7月20日
シモキタ - エキマエ - シネマ『K2』
東京セカンドラン上映決定ほか全国拡大!
2023年7月20日 黒須杏樹インタビュー
少年チャンピオン掲載
2023年8月11日
奥津裕也インタビュー メディア掲載
2023年8月26日
京阪神への上映拡大 メディア掲載
2023年9月1日
カメラジャパン・フェスティバル
オランダ・ロッテルダムにて上映

Introduction
東京芸大修了製作『しんしんしん』(2011) / ndjc2018『サヨナラ家族』(2019)の眞田康平が、長年温めていた企画を気心の知れた仲間たちと作り上げた待望の長編第2作。
再び原発事故が起こった地方で、除染作業員を運ぶバンを運転するチンピラを主人公に、ムショ帰りの親友と流れてきた出稼ぎ風俗嬢の擬似家族のような共同体の再生と崩壊を描く。圧倒的な力(権力、金、原発)のその周辺で、飲み込まれ、翻弄され、使い捨てにされ、自分より立場が弱い人を見て自分を慰め、せめて人並みに生きたかったのにと呟いて酒を飲む人々。その人間模様を通して、暴力と格差の中で踏みにじられる人間の尊厳を問う。
主演に、眞田組には欠かせない存在であり、近年の瀬々敬久監督作品に多数出演し劇団「狼少年」を主催する奥津裕也を迎え、中村有、 黒須杏樹の3人を中心に総勢600人以上のオーディションを経て選ばれた総勢30名以上の俳優陣が極限まで張り詰めた芝居を爆発させた。

Story
遠くない未来、地方で再び原発事故が起こった。しかし、その隣町では一見変化のない生活が続いている。
ピストル型のライターで煙草に火をつける残念なチンピラの達也は、ヤクザの下で立入禁止区域の除染作業員をタコ部屋まで運ぶバンの運転手をしている。
そんな達也の下に、刑務所に入っていた親友の諒と出稼ぎ風俗嬢のマリが転がり込んできて、行き場の無い3人の共同生活が始まる。
達也はヤクザ に取り入って、バラバラになっていく故郷や仲間をなんとか食い止めようと行動するが、日本の原発問題を起点にして、暴力と格差の中で踏みにじられる人間の尊厳を問う。オモチャのピストルライターは、誰を撃つのか。
Cast





Director
眞田康平:Kohei Sanada
1984 年石川県生まれ。東京藝術大学大学院映像研究科監督領域修了。監督、脚本、編集エディター。
主な監督作品に、東京藝術大学大学院映像研究科修了作品として監督した 『しんしんしん』 (2011)。 同作は、渋谷ユーロスペースをはじめとした全国10館で劇場公開。NIPPON CONNECTION 参加。
『イカロスと息子』 (2015) にて、ゆうばりファンタスティック映画祭ショートフィルム部門で 審査員特別賞受賞、大阪アジアン映画祭参加。近作にndjc2018 『サヨナラ家族 』 (2019)、『ピストルライターの撃ち方』 (2022)。
【MESSAGE FROM FILMMAKER】
福島の原発事故から10年以上が経ち、何が残って何が変わったのだろうか。一部復興が進んだ事は確かだが、その一方で、廃炉、除染、帰宅困難地域など、パッと考えただけでもすぐに解決できない問題は山積みにされ、それは延々と先送りされ続けている。原発問題 は全て差別構造だという。「原発ジプシー」から40年。時代は変わったが実際現場で働く作業員は孫請け、曽孫請け(果ては8次請けまで)は当たり前で、ヤクザが中抜きをしているという記事を読み、何も変わっていない闇があると興味を持ったのがきっかけだった。
原発や放射線そのものに対する恐怖より、人間の愚かさが生み出す構造の方が恐ろしい。それを映画に出来ないかと考えた。この映画のテーマを一言で表現すると「人間の尊厳とは何か?」である。かつて村上春樹は原発に関して、人間の尊厳をないがしろにしてまで優先される効率(利益が上がるシステム)とは何かと語った。私たちの当たり前の生活、ふとした幸せや居場所を犠牲にしてまで経済や誰かの事情が優先される、それは原発だけでなく今この国で頻発しているいろいろな問題と重なって来るはずだ。
特に居場所について、失われ続けている土地がいまだにあることを私たちは忘れてはいけない。今日本に生きているならば、それを物語らなければと思った。だが、かといって社会的な肩ひじ張った映画を撮ろうという気はあまり無い。自分が撮りたいのは、その辺境で生きて行く人間そのものである。原発の周辺でヤクザの使いっ走りをやっている 男、ムショ帰りの親友とら流れてきた風俗嬢の三角関係のような疑似家族のような、そんな共同 体の再生と崩壊を元にした人間臭い物語を描きたいのだ。
圧倒的な力(権力、金、原発)のその周辺で、飲み込まれ、翻弄され、使い捨てにされ、自分より下を見て自分を慰め、せめて人並みに生きたかったのにと呟いて酒を飲む人々。その人間模様を通して、人間の尊厳とは何かを考えていく。主人公は、搾取の中間にいる。しかし人は簡単に道を踏み外し、本心とは裏腹な事態をひきおこしてしまう。この物語は悲劇で終わるかもしれない。
それでも、その生き様を、その不恰好な人間性を、そのまま描ききりたい。
【公式 HP ▷】

